もっと上手に生きられたらよかった

アスペルガー症候群とADHD、双極性障害の医大生が自分を観察するためにブログを書いてみます

ふられた!

 

月曜に恋人に振られました。とほほ。

そして不思議なことに全くへこんでいない涙が出ない。彼への愛が変わらない。

 

私と元恋人との関係は多分、付き合ってから別れるまでそして別れてからも、私がここで彼のことを好きなまま生きていて、彼は彼の人生を自由に生きているという、それ以上でも以下でもないひとつの事実であるからだと、気付いたから。故に、私はまだ彼を大切に思っているままここで生きているのである。

 

あの人が、俺たちは今までの人生も住む世界も違うからもう会わない。これが最後。と言ったのは今回が初めてではない。そして私も彼に別れを告げたことがある。それでものらりくらり4ヶ月の付き合いだった。

 

 

私たちは出会って1週間足らずで付き合い始めた。思想に惹かれあって恋をして、思想のすれ違いで恋が終わった。

 

私は人間の思想が一点に留まることもなければゴールもないと思ってる。あの人の考え方が変わり、もしまた私の思想に触れたいと思われたなら私に連絡すればいいと言った。私がいつか他の誰かを好きになることはない保証なんてないけど、ボタン一つで全てを忘れるロボットでもない。

彼が今友達も家族もいらない、言葉もいらない、神を求めて生きていきたい、と思うなら別にそうしたらいいと思う。もしそれが唯一絶対普遍の答えと思うなら、それは少し、赤ちゃんだけどね。

そしてこれは完全な驕りだけど、化学物質の力を借りて神を追求しようとした元恋人と、自分の知識経験思考言葉で神を得ようとした私とでは、やっぱり思想の厚みには差があるんだろうなと思う。正直私は目いっぱい拙くとも自分なりに色んなことを考えて生きてきたから。LSDの瞑想と錯覚だけではチベットの僧侶にはなれないのよ、赤ちゃん。

 

でも他人にあまり興味の無い私が久しぶりにどっぷりハマって恋に惚けた人だったから、寂しい。

 

いつか会ってしまいそうだけどね、どこかで。

 

 

 

あ!あと俺は言葉とかいらないし人と話す必要を感じないけどお前はおしゃべりだから違う世界の人だと思った、ってゆーてましたけど。

 

一つ教えてあげたい。

 

 

恋してる女は大概おしゃべりな生き物だからな!

 

そんな感じ。私に愛を教えてくれた直近の恋のお話でした。めでたしめでたし。

 

 

 

 

蟻地獄

アップルフレーバーの紅茶を淹れて、出来心でマリブを入れた。

甘い、甘い、甘い。ココナッツの香りとリンゴの香り。蟻地獄のようだ。

 

週一回、火曜の一限のみの授業もこれで4回ほど受けたことになる。

どうしても08:50には間に合わないけれど、それでも9時すぎには教室に入っているし、まだ一度も休んでいない。どうしてこんな授業のためだけに余分な1年を費やせねばならないんだろう。医学と一切関係のない一般教養の授業に。

 

コンサータは順調である。コンビニでの爆買い及び過食嘔吐も少しずつ減っているし、何か作業をするときの段取りや準備が少し上手になった。何かの作業の途中で失敗しても、手首を切りたくなったり適当な薬を過量服薬したくなろような衝動を覚えることもなくなった。私はこのまま少しずつ、色々なことが大丈夫になっていくのかもしれない。

体調は微妙だけれど。

 

今でも時々、病識が薄れる。私って結局なんなんだろうと思う。いつまでも納得できる日は来ないのかもしれない。仕方ない。今の治療を続けるのみだ。

 

病識どころか、自我も薄れることがある。鏡や自分の写真、そして自分の名前を見たり聞いたりするとき。私は自分が何者なのかわからなくなる。私と自分と、意識、乖離するのか、境界線が曖昧になるのか、わからない。気持ち悪い。だから私は自分を下の名前で呼ばれることがすごく苦手である。

 

苦手な人にはスルーして欲しいのだが、例えばセックスするとき。

恋人は私の名前を呼ぶ。怖い。誰のことかわからなくなる。私の名前とされる記号を口にする恋人のことも、その記号が表す人間のことも、それを聞いた自分のことも、よくわからなくなる。ちょっと、冷める。。。。

まぁ、今更、私の名前を口に出すなと言って、実際に二度と名前を呼ぶことがなくなったらきっと寂しくなるだろうから、そんなこと言わないけどさ。ただ会話の中では言わないで欲しいな。”お前”でいい。

 

友人らには一切名前で呼んで欲しくない。あだ名ってなんて素晴らしい文化なのだろう。高校の友人、先輩後輩が一番リラックスして接せられる理由は私をあだ名で呼ぶからだ。

大学の友人は私を名前で呼び捨てする人が多い。気持ち悪くなる。さん付けされると気が楽になる。予備校時代、さん付けがあだ名のようになってたから。

でも後輩に〇〇さんと呼ばれるのは嫌…。先輩では、近しい先輩は名前を呼び捨てする。これもしんどいーーーー。自分の名前を呼ばれるの、本当に嫌。

 

 

はあ。多分私は本当の自分を周りにさらけ出すのが怖いんだと思う。だから自分の名前を呼ばれるのも嫌なんだと思う。ついでに自己紹介で名前を言うのも嫌。

 

喉の奥の違和感が取れない。今日は舌ピのキャッチを飲み込みました。

 

 

 

おやすみなさい

 

 

風邪引いた

 

身体がだるくて起き上がりたくなかったけどちゃんと1限出席できました。褒めて。

 

今日は新しい病院(主治医の先生は変わらず、先生の勤務先が変わったことに伴い私もついて行く形)で初めての診察。

前に通ってたところよりもすごく辺鄙で、静かで、古くて、サナトリウムのようだった。

 

結局コンサータを再開することにした。試す価値はあると思うから。ストラテラはダメだったけど。

先生が書いてきてた診療情報提供書を盗み見ると、bipolarは完全寛解と書いてあった。完全という表現に少し違和感を覚えたものの、実際に色々なことが少しずつ大丈夫になってきている。まだ全てが大丈夫になったわけではないけれど、それでも本当に大きな進歩だと思う。先生は私がストラテラコンサータを中断したり再開したりした判断にも、賛同してくれている。(リーマスについても聞いたら最低2年は飲まないといけないらしい。)治療は私にとって有効な救いだった。コンサータの服薬も、吐き気がしても頑張ろう。

 

 

「君みたいなタイプは外科は大変だろうな~手洗ってる時に、ちょっとボーッとしてどこか触って、一からやり直し~とかね」なんて談笑した。

 

時間なくて薬局行けてない。

 

バイトは暑かった。熱があったのかも。ずっと火照りと汗が止まらず、咳もコンコンしてた。

 

 

そんな1日。

 

帰りの電車で思ったことは、やはり私は治療を始めてから躁鬱は落ち着いたってこと。そして昔よりも、様々なことに折り合いを付けられるようになった。だけどまだまだ完璧ではない。

恋人ができたことも今のところ私に好影響だったと思う。私は彼を大切にしたいし、まもりたい。好き。今すぐ会いに行きたいって思って恋しさが止まらない日もある。彼は今インドにいるから今は会えないけど。彼と付き合い始めてから1度もリストカット(腕と太もも含め)はしていないし、楽観的な考え方も少しは身につけらみんなれた。ありがとう。

大切な友達や、なんだかんだ両親のおかげも大いにある。そして私を診てくれてきた先生も。皆ありがとう。

 

 

新しいバイト

 

今日から知り合いの法律事務所で働かせてもらうことになった。書類を出しに郵便局や弁護士会の事務所に行ったり、書類をファイリングしたり、楽しかった。遅刻しないように頑張りたい。きちんと生きていきたい。

飲食の方も頑張らなきゃ。

 

そして、ずっと訪ねたかったカフェにバイト終わりに行ってみた。

内装も小物もすごく素敵で、私にはめずらしくゆっくり時間をかけてカヌレを食し、煙草を薫せながら紅茶を飲んだ。ゆっくり読書もできた。クラシック音楽が静かにながれ、お客さんみんながゆっくり呼吸することを慈しんでいた。あのカフェにはこのくらいのキザな描写が似つかわしいに違いない。この文章、後日読み返したら恥ずかしくなりそう。

 

このカフェは絶対にSNSに投稿したくない。母親と、大切な友達だけに写真を送った。ロマンが溢れる本を読みながら思い浮かんだのは恋人だった。安心した。私が本当に愛したいのはあの人だなと確信した。

 

心を揺さぶられた時に思い浮かぶ人たちが、今までと変わらず大切な人たちでよかった。愛おしく思える全てを、私の意識が続く限り愛したいと思えてよかった。それだけで私は明日からも生きていけると思った。今日が今日でよかった。この気持ちを忘れませんように。

 

ときどき、言葉なんていらない、言葉がなくても分かり合える、言葉を越えたような気持ちになることもあった。でも、今読んでいる本にあったように

「言葉が人間の精髄である。」ならば、私は私の言葉で愛を語りたい。

 

 

ありがとう。

 

 

性格良くなった

と、思うのは気のせいですか?躁のせいですか?

最近は少しずつ家事を頑張っている。偉い。

人を誘って出かけてみた。(テーマパークやサシ飲み)偉すぎる。

リストカットもしていない。言葉にしてみると嬉しい。

 

だが、過食はしてしまう。嘔吐も含め。

爆買いもしてしまう。良くない。太った。最悪。

 

なくし物や忘れ物や遅刻は多すぎて、情けない。

 

 

以上により明後日の診察での希望は、やめていたロゼレムとコンサータを再開、で。

 

 

ステーキ食べたいな。でも私の恋人はヴィーガンなのでお肉食べません。私の好物は肉です。食の好みが合わないって、どうなの。

でも、面白い人なんだよー。

 

私は少しずつだけど、いろんなことに折り合いをつけることができるようになったし、明るくなることもできた気がする。

 

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亡命欲求

最近は、死にたいという言葉が頭に浮かばなくなった。

死ぬまでがかったるいことも、死んだからといって今までの何もかもが帳消しになるわけではないことも、わかる。

私に依存する母親が後追い自殺をするんだろうとか、私が死んだことを恋人に知らせる術が一つもないこととか、私の友人らにさえ、どうやって私が死んだことが伝わるのだろう、とか。

そういう面倒ごとを考え始めたらキリがないから、死にたいってハッキリ思うことはなくなった。

それでも、頻度が少なくなったとはいえ、どうしようもなくどうしようもない気持ちに押しつぶされたりとか、あらゆるものから逃げたくなったりとか、結局生きることはしんどい。早く、この国から、この学校から、うん、この世界から姿を消してしまいたい。逃げたいの。亡命。したい。

 

早く恋人が待ってるインドに行きたいの。一緒にネパールにも行きたいの。何も考えずに呼吸だけをしていたい。辛い辛い。人と関わるのがしんどい。どうしてだろう。やっと立ち止まれたはずなのに。辛い。何かストレスフルな出来事に苛まれているわけでもないのに。ただ自分の人生がつらい。生活というサイクルがしんどい。昔と比べて随分、一人で泣くことも自分自身を傷つけることもなくなったけど、そんなに簡単に明るく元気にハツラツとするわけない。

 

恋人のこと書いた記事って、いつか恥ずかしい過去として消去してしまうんだろうか。

 

どうしたらいいんだろう。きっといい方向には向かっている。後から振り返ったらそう思うはず。だけど。

 

今はただ、ここから逃げて、草原もしくは冷たく綺麗な水の中で、浮遊していたい。誰しもの記憶から完全に消えるまで。

 

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